皆さんは、なぜ15世紀のヨーロッパが他の大陸を征服できたのか?ご存じですよね。
そうです、当時ヨーロッパでは他の大陸の人々よりも文明が進んでいて、いち早く外洋船や鉄製の武器を持つことができたからです。
では、なぜヨーロッパの人々は他の大陸の人々より進んだ文明をもつことが出来たのでしょうか?
この答は難しいですよね。
究極の答えは、ヨーロッパは東西方向に伸びる大陸に位置していたからです。
「どういう事?」ですよね。
本書は、この「どういう事?」に答える内容となっています。
僕は、このことを学べて歴史がもっと面白くなりました。
東西方向に伸びるユーラシア大陸
大陸が東西方向に伸びているか、南北方向に伸びているかで食料生産などの技術の伝播速度が大きく変わりました。
それは、東西方向に伸びる大陸は緯度の高低差が少ないことが要因です。
つまり、東西方向が比較的に気候の変化が少ないので植物や動物が環境に適応できるということです。
日本にお住まいの皆さんはご存じの通り、北海道のような北国の冬は寒いし、沖縄のような南国は年中あったかい。
南北で緯度の差がある場合、まったく気候が異なりますよね。
そして生息している動植物の種類も異なります。
対して東西に距離がある東京と大阪は緯度が同じぐらいなのでそれほど気候が変わりません。
そして、同じような動植物が生息しています。
そうです。東西方向に伸びるユーラシア大陸は気候の変化が少ないため、作物などの伝播が比較的容易だったんです。
そして、凄く大事なことは作物の伝播と合せて技術や文化も起こったってことです。
皆さん、歴史の授業で肥沃三日月地帯を勉強したのを覚えてますか?
そうです。人類が初めて食料生産を始めた地域です。
この肥沃三日月地帯で生まれた食料生産や家畜の技術は、東西方向に伸びるユーラシア大陸の周辺に位置するヨーロッパへ驚くほど速く伝わりました。
このことが、ヨーロッパにとって他の大陸の人々よりも文明へ第一歩を踏み出せた要因となったんです。
なぜ肥沃三日月地帯で食料生産が始まったのか?
今からざっくり1万年ほど前、人類で初めてメソポタミアの肥沃三日月地帯で食料生産が始まりました。
そして独自に食料生産を始めた地域は肥沃三日月地帯を含めて5か所あると言われています。(諸説あり)
- メソポタミアの肥沃三日月地帯 /紀元前8,500年ごろ
- 中国 /紀元前7,500年ごろ
- 中米 /紀元前3,500年ごろ
- 南米のアンデス地域 /紀元前3,500年ごろ
- 合衆国東部 /紀元前2,500年ごろ
実はメソポタミアの肥沃三日月地帯は、他の地域に比べて圧倒的に農耕開始に有利でした。
その理由は、肥沃三日月地帯は、当時、世界の農業の基礎を築いた大麦など8種の野生植物が全て自生していたからです。
その他の独自に食料生産を始めた地域で自生していたのは2種に過ぎませんでした。
そうなんです。肥沃三日月地帯は、農耕を始める人々にとって、すごく恵まれた土地でした。
なぜなら農作に適した野生植物が生息していないと独自に狩猟採集生活から農耕生活へ移行することができないからです。
農耕に適した野生植物が自生していない地域では、伝播に頼るしかありませんでした。
そして、恵まれていたのは農耕に適した野生植物の生息だけではなかったんです。
哺乳類の存在です。
話はそれますが…。
皆さんは、お肉食べますよね?
食べる動物のお肉の種類は限られていると思います。
牛、豚、鶏、そしてたまに羊。
実は、鶏を除くこれらは、紀元前6,000年まえの人々も食べていたんです。
驚きです!
でも当時は世界中で食べれていたわけではありません。
なぜなら家畜化に適している哺乳類が世界中いたるところに生息していたわけではないからです。
限られた地域に集中していました。
それがユーラシア大陸です。
ユーラシア大陸には人間が家畜化してきたメジャーな5種(羊、山羊、牛、豚、馬)、これら全てが生息していたんです。
このように、メソポタミアの肥沃三日月地帯は、栽培できる植物や飼育できる家畜を比較的容易に手に入れることが出来たんです。
これが、肥沃三日月地帯で早く食料の栽培化と家畜化が始まった理由です。
そしてこれら栽培化と家畜化の技術が、紀元前8,000年ごろには周辺地域のヨーロッパへ伝播し、他の地域の人たちより一歩先に大規模な社会を築き先駆けて銃器や鉄鋼製造の技術を発展させるのです。
銃・病原菌・鉄
本書のタイトル「銃・病原菌・鉄」は、15世紀ヨーロッパ人がその他の大陸を征服できた直接の要因を表現したものです。
ヨーロッパの人々が銃と鉄を使って戦ったのは想像できます。
でも「病原菌?」って思いません?
僕は、その時代に生物兵器あったの?と思いました。
あったんです!
それを段階的に説明すると、まず、ヨーロッパではいち早く人口が密集する大規模社会を築かれました。
それは食料の栽培化と家畜化でより多くの食料を得て、より多くの人を養っていけるようになったからです。
そして、人と家畜が隣り合わせで生活する環境のなかで、人は家畜から病原菌をもらいます。
そうです、15世紀のヨーロッパの人々は、感染症と戦ってきた過去があり病原菌に対して免疫を持っていました。
そのヨーロッパ人が他の大陸へ入ったとき、意図せず持ち込んだ病原菌によって、銃や鉄製の武器より病原菌が多くの現地民の命を奪いました。
僕もコロナ禍にこの記事を書いていますから、病原菌の脅威はよくわかります。
さて、本書タイトルの「銃・病原菌・鉄」は、ヨーロッパ人が他の大陸を征服できた直接の要因であり、それら要因を持つことができたの究極の要因は、ヨーロッパが東西方向に伸びる恵まれた大陸に位置していたという環境によるものでした。
この記事のまとめ
東西に伸びる大陸は気候の変化が少ないため、植物生産やその他さまざまな技術の伝播を速めた
ユーラシア大陸には、栽培しやすい植物の自生や家畜に適した哺乳類が多く存在していた
本書のタイトル「銃・病原菌・鉄」は、ヨーロッパ人が他の大陸の人々を征服した直接の原因を表現したもの
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